私と魚の関わり

私と魚の関わりのはじまり

なんとなく還暦が通り過ぎていきました。どこかで一度人生を顧みて、今後を関上げるならば今なのかと思い、私の魚との関りを振り返ってみたいと思います。

まず、私と魚との関りは、祖父、父の影響が大きいのでそこを少し語らせてください。祖父は榎本千花俊という画家で鏑木清方門下生でした。手先が器用で、虫かご、虫取りアミ、アユ釣り竿なども時間があったら作ってもらっていました。父が使っていたアユ竿も祖父手作り品でしたが、よくアユ釣りに連れて行ってもらいました。その頃の生活圏は神奈川県平塚市で、相模川、相模湾、大山、高麗山、花水川、蓮上池など釣りにもってこいの環境でした。父からもらった祖父製釣竿であちこちで回し使いして遊んでいたのが私と魚の関わり初めだと思います。

(図)榎本千花俊作
旧ホテルオークラ パウダールーム内壁の美人画

漁師になることが夢でした

釣って帰ってくれば母が褒めてくれて、おいしく調理してくれました。その頃から自分で釣った魚はうまいと本当に思いました。やめられません!当時はアユ、ハヤ、コイ、ハゼ、フナなど釣っていました。この頃からしばらく私の夢は漁師でした。ただ単に魚が好きで釣りが好きという事で決めていました。今までみたいに陸からしか釣れなかった魚が、船に乗って海に行くとマグロまで釣れると意気込んでいました。でもその頃、確か200海里問題で日本とソ連がもめていて、日本の漁船がソ連に拿捕される事件が多発していたと思います。その時の報道でよく出てきた言葉が大陸棚でした。今でも200海里と大陸棚と排他的経済水域、領海に接続水域の関係が良く分かりません。

(図) 大陸棚と200海里

中学生頃までは、単純に海に出て、好きな魚を釣って自由な生活をすることに、カッコ良さと男の生き方の手本みたいな憧れを持っていました。魚はうまいし!この頃、親から『もう漁師も安全ではなくなったね』と言われたのを覚えています。200海里問題を、今までそんなことと関係なく海洋漁業であちこちの海に出ていった船が、出ていけなくなった問題ととらえました。当時の自分にとって、200海里は大体2km位の感覚でした(実際は370kmくらい)。夢はしぼんでいきました。

歯科医院を開業してからの魚との関り

大学卒業後、結婚し開業を期に、開業地である東京都港区と奥さんの実家のある伊豆高原(伊東)へと生活圏が分かれてきました。休みになると伊東へ行き、好きな釣りを友人たちと楽しんでやっていました。その頃は手漕ぎボートで海の差k名を釣ることを楽しみ、一方で自分の力量の限界を感じながらも充実した時期でした。朝早くから、イサキ、キス、カサゴ、アジ、などを狙って風と波の関係、水深と魚種の関係、食物連鎖(弱肉強食、釣ったキスでヒラメを釣る)など時間を忘れるほどあの手この手を使い、考え遊んでいました。もちろん釣ってきたら捌いて料理します。刺身、天ぷら、塩焼き、煮付けなど覚えていきました。今は亡き義父にも色々褒めてもらいました。義父は富永秀夫という絵本などを描いていた童画家で、海、山、人物、動物など生活圏の絵画が印象的です。

(図) 富永秀夫作 無題

釣り船に乗って欣昭の魚を釣ったり、新島、神津島、八丈島付近への大物狙う船に乗ったりしたので、東京湾、相模湾から伊豆諸島への釣りに興味がますます湧いてきました。

伊東のマリーナに船を所有し狙うは…

ここ5~6年位前からは釣船に乗るのではなく、自分で漁場を探して釣り上げてくることに意義を感じたので、理由あって伊東のマリーナに船を所有することになりました。最終目標は大島海域で本マグロを釣ることです。そしてこれが達成しやすいマリーナが伊東でした。色々な方に情報をもらったりで、この世界も大変だなと思っています。テレビで見ているほどではありませんし、もちろん趣味なので生活をかけてやっていません。でも、本マグロを釣りたいです。いつもチャンスを狙っています。仕事中に情報が入ってくるともう大変です(笑)
仕事は一生懸命、釣りはさらに一生懸命です。普段は現地調査を兼ねて様々狙いますが、アカムツ(のどぐろ)について少しお話します。マリーナを出てそのまま東に向かうと右舷に手石島、左舷に1983年の伊東沖海底火山口を臨みます。前方の大島東側を目指して進むと、出航から約10ノット位で20分位で水深300m前後のアカムツポイントに到着です。潮流、風、波の大きさなど感じ、スパンカーを張り、流し釣りをしていきます。状況で胴付き(垂直)、天秤(水平)仕掛けを使い分けします。

(図)胴付き仕掛け

私の得意は天秤仕掛けなので針にサバの身短冊とホタルイカなど付け錘200号で300m下へ落としていきます。着底させて、ここからその日のアカムツの遊泳層をエサの位置を下から2m上、4m上、6m上、底に這わせるなどして探します。釣れた層(その日泳いでいる層)が分かればその日の釣果が良い方向に向かうことが多いですが、1日で数匹釣れれば良い魚なので簡単ではないです。

(図)アカムツ大漁

水深300m付近は太陽の光が届くのでしょうか?魚は何を感じ餌に食いついてくるのでしょうか?動き?それとも匂い?私が意識しているのは、死んだ物が上から落ちてくる演出とか、死にかけていて逃げ回る魚を演出するとか、エビみたいな動きを演出したりします。それでも気配を消してじっとさせていると食いついてきたりすることもあり、正解はありません。その日、その時のタイミングで違うところが逆におもしろさかもしれません。うまいしやめられません。

(図)アカムツと旬の野菜たち

私にとってのライフワーク

釣れない時は釣れる方法をあの手この手で考えるのですが、それでも釣れないときは、周りの景色を見ながら色々想像します。川奈崎灯台横の川奈ホテルはよく『山立て』で利用しますが、ここはゴルフコースが有名で、私も何回か友人、今は亡き恩師らとプレーしたことがあります。

(図)山立て

ゴルフだけでなく、『橋本・エリツィン川奈首脳会談』もこのホテルでした。何一つ変わっていない感じですが。また、大村 智・北里大学特別栄誉教授が、ここから採取した土の中からエバーメクチン(イベルメクチン、新型コロナウイルス治療薬)なるものを作り出す微生物を発見し、ノーベル賞をもらったとのこと。これによりアフリカなど貧困に苦しむ10億人を失明の危機から救ったとのことで日本人として誇りに思います。このポイントの近くに1989年に起こった伊東沖海底噴火口(手石海丘)があります。

(図) 伊東沖海底火山(手石海丘 )

ここはフィリピンプレート上で、富士火山帯上です。一年に3~5cmずつ北西に動かされ駿河湾トラフあたりでユーラシアプレートに潜り込んでいきます。このフィリピンプレートの下に太平洋プレートがもぐりこんでまさにこの海域はエネルギー豊富な海です。数年間で数10cm北西に動き海底地形も変化しつづけていることを感じながら釣りをしていると、このプレートのはねかえりエネルギーの大きさによっては、房総半島沖から相模湾、相模トラフあたりまでの大地震がちらほら心配です。そうそう、近くに見える初島東沖にも活断層があり初島を押し上げているそうです。底釣りは海底を探る釣りなので、陸の形から海底を想像することも多々あります。水深、水色、潮流など地球、いや宇宙規模でのロマンである私にとってのライフワークです。その最終目標は本マグロ釣りです。大島海域に行く目標は、キャストでも小魚泳がせ釣りでもとにかくまずは一匹とることです。何回かはチャンスを見て行くのですが、かすりもしません。数年前に黒潮の大蛇行が始まってからはあまりいい話を聞きません。何かが関係しているのでしょうが、分かりません。たぶん腕のせいでしょう。

ある日の本マグロ釣りの一日

さて、ある日の大島での本マグロ釣りの一日をお話ししましょう。数日前から気象予報を調べ出航時間を決めていきます。キャスティングもナブラ(小魚の群れがフィッシュイーターのヒラマサ、カンパチ、マグロなどに追われて、局所的に海面にさざ波を立てて逃げる様子)が移動中にあれば、投げられる準備はしておきます。私は基本的に生き餌(サバ、アジ)を針に付けて、泳がせマグロに食わせて釣るやり方をします。

(図)本マグロ仕掛け(ハリス35号 10m)

よって大島に向かう前にエサの確保をします。狙いはサバで、10匹位は最低釣っておきたいところです。エサ釣りは、利島付近でとる船が多いそうですが、私はなんとか出船してすぐその場所で探します。確保できればその日の風を考え大島の左側か東側を決めます。または、数日前の釣果なども考慮して場所を決め、目標に向かいます。20ノット前後で約1時間くらいの船行ですが、途中イージス艦が貨物船と衝突事故を起こしたタンカーなどの大型船が波のやや立つ海域があります。注意して進むと20~30分後にはマグロポイントに着きます。風の向き、速さと潮の流れる方向などを感じ操船し、リールをエサが泳いでいるようなドラグ(魚が引いたらその大きさによっては引っ張りっこにならないように逆回転し、糸が出ていく仕組み)調整します。あとは待つだけです。たえずナブラの存在や、海鳥の動きを見ながら、いつでもマグロの近くにエサを入れられるように待ちます。今のところ、ここからの変化、釣果は残念ながらありません。期待と夢は膨らむ一方です。早く釣らないとヘミングウェイの『何とかの海』の年になっちゃいます。でもゆっくりでいいんです。一匹でいいんです。モリ、タモアミ、ギャフ、ロープ、ワイヤーフック、マグロ用クーラー、色々揃えてはあるのですが。しっかりと勉強していきたいと思います。

榎本智充